昨日のブログで書きましたが、生徒たちのネパール震災復興支援募金に合わせる形で、SGH講演会である、第1回松尾ゼミナールが今日行われました。
講師は、JICA駒ヶ根の仁田(にった)知樹所長と、駒ヶ根市職員にしてJICAネパール隊員の矢澤国明氏です。
来校直後、まずは来客との定番、学食で一緒に昼食。
戻って段取りを打ち合わせ、本番に臨みました。
当初から講師には仁田所長をお願いしていましたが、生徒の募金のことを話したところ、矢澤さんも一緒に行った方がいいのではとご提案いただき、お二人にお話をしていただくことになりました。
仁田所長は1984年にJICAに入職、東日本大震災時には、GNH(国民総幸福)で有名なブータンにある事務所の所長を務めていたそうです。

ブータンは、一言で言うと経済発展よりも国民の幸福度を重視していると言われています。
仁田さんは、本当だろうかと思い、現地の人たちに「幸せですか?」と訊いてみたことがあり、すると、多くの人が「はい」と答え、さらに何人かの人が「あなたが幸福なら」と付け加えたといいます。
まずはそういったことがあり、さらに2011年、東日本大震災が発生した時、遠く離れた所に住む1人の老人が、1枚の紙幣を握り締め、2日かけて事務所に来てくれたそうです。
そして「かつて日本の青年海外協力隊が私の村にやって来て貢献してくれた。今度は私の番だ。この金を日本のために使ってくれ」と話したといいます。
この時、仁田さんは、そうか、国際貢献とは「お互いさま」(相互扶助)ということなんだと、ストンと胸に落ちたそうです。
2011年、平均年収20万円、人口70万人の、このブータンという国からなんと1億円の支援金が日本に送られたそうです。
今や世界屈指の支援国である日本も、実は1990年までは海外から支援を受けていた国であり、黒四ダム、東海道新幹線、東名高速道路といった日本の発展を支えた大事業も世界銀行からの支援で行われたとのことです。
矢澤国明氏は、ネパールのポカラ市(所属する駒ヶ根市の姉妹都市)への派遣のために語学研修をしていたカトマンズで被災したそうです。

地震発生後、携帯電話は通じず、ショートメールで安否の確認をし合ったといいます。
世界的には珍しいことだと思いますが、こういう状況の中、ネパールの人たちも日本人同様、並んでじっと待ち、支援物資を受け取っていたそうです。
矢澤さんは現在は一時帰国中で、6月1日に再びネパールに行く予定になっています。
会場の生徒からの質問に答えて、

現地に行ったら、まずお世話になった人たちと生存している喜びを分かち合い、その後、何ができるか考えて行動したいと言っていました。
講演会終了後、講師を囲んで座談会があり、その後、生徒会の募金担当が校長室に来てくれて、3日間で7万円程募金が集まったと報告してくれました。
次は松尾祭。
外部の方にもお願いすることになるので、今回の取組を活かし、一層慎重に事前準備、事後処理をしてほしいと思っています。
マスコミ各社の取材がありました。
信毎、朝日、東信ジャーナル、信州民報の各紙では明日以降に記事になると思いますし、NBSの放映は25日(月)の夕方と聞きました。
どんな形で扱っていただけるか、ぜひご覧いただければと思います。
定時制では、2時間目終了後、東信大会壮行会が行われました。
担当生徒が、私に直接挨拶を依頼したいと、3度も校長室を訪れたと聞きましたが、その意気込みが現れていました。
周到な準備、テキパキした司会進行、私に続いて私より上手な生徒会長の挨拶、大きな声の校歌斉唱、大会参加各班の決意表明と、素晴らしい会でした。
選手諸君、明日は精一杯ガンバレ!