146 文章は寒くないことを願う



結構強い雨が、朝から一日中降っていました。

これだけしっかり降るのは、久し振りのような気がします。


しかも、相当寒い日になりました。

血流があまりよくない私は、寒いのが苦手で、かつ手足が冷たくなりやすいという身体的特性を持っていて、今日も1人で「寒い」「寒い」を連発していました。

「血の通ったことが苦手」とならないように気を付けないといけませんね。


さて、『教育指導時報』10月号が学校に届きました。





県教委教学指導課の中にある「長野県教育指導時報刊行会」という所が発行している、公的な要素も持った月刊の教育誌で、小・中・高・特別支援を問わず、大抵どこの学校でも購読しています。


夏に、この「巻頭言」ともいうべき『随想』というコーナーへの原稿執筆を頼まれ、自分なりに時間をかけて書いた文章が、今月号に掲載されました。





夏になる度、毎年考えて来たことが、今年は、その何倍にもなって自分に押し寄せて来たので、その気持ちや想いを中心に、文章にしてみました。

十分に意を尽くせたか、甚だ不安ではありますが、今日はそれをここに掲載することにします。

今日は寒い日でしたが、この文章は読者の皆さんにとって‘寒く’ないことを願います。



『教育指導時報』平成27年10月号 『随想』


70回目の夏

内堀 繁利


この夏、村上龍の『希望の国のエクソダス』を読み返した。

1998年から『文藝春秋』に連載され、2000年に単行本に纏められた小説で、2001年から2008年までの‘近未来’の日本を描いている。

 パキスタンとアフガニスタンの国境に日本から移り住み、パシュトゥーン族の一員となった16歳の少年‘ナマムギ’がテレビに映る姿に触発され、各地で次々と集団で登校を拒否した日本の中学生数十万人が、インターネットで結びつき、ネットビジネスなどを通じて巨万の資金と社会的権力を持つようになり、ついには、その一部が北海道に移住して広大な都市を支配、日本からの出国(エクソダス)を探るという物語だ。

中学生グループの代表が国会に参考人として呼ばれ、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と語る場面は特に印象的だった。

ファンタジーと言ってしまえばそれまでだが、私は、かなりのリアリティを感じながら読んだ。出版から15年が過ぎ、実際には、(萌芽はあるものの)中学生が社会に大きな影響を及ぼすまでには至っていないが、著者が「中学生の反乱を通して、現在の日本社会の危機感と適応力のなさを示したかった」という日本の大人社会の在りようは、一層深刻化しているようにすら思える。


教育は未来を創る営みである。

未来とは、希望であり、子どもたちが持つ可能性への期待だ。

次の時代を安心して託すことができるように、高い志と、自分の頭で考え、自分の意志で行動し、周囲と協働して事を成し遂げられる力を育てたいと思う。そのために大人たちは、子どもたちが夢や希望や幸福感を持って生きられる社会、活き活きと主体的に学ぶ学校を創らねばならない。

危機感とともに、そういう覚悟を大人たちが共有しないといけない。


そんなことを思いながら、本を閉じ、外に出た。

どこまでも澄み切った空に入道雲が見える。

8月の青空は、THE BLUE HEARTSの『青空』ではないが、未来への希望や期待とともに、重苦しさや切なさも運んでくる。小学校の頃、学校の帰り道、急に寂しさに襲われ草に寝転んで見上げた空だからという極めて個人的な記憶のせいもあるが、何より、広島と長崎に原爆が投下され、終戦を迎えた空だからなのだろう。

しばらく眺めていると、実際にはするはずのない戦闘機のプロペラの音が聞こえた気がした。


大人としての我々の最大の務めは、先人から受け継いだものを少しでもよくして後世に引き継ぐこと―。

だとすれば、一番大切に引き継ぐべきは、戦後70年間、一度も絶えることのなかったこの国の平和なのではないか。それにはどうするのがいいのか。青空を眺めながら考えていると、爽やかな風が吹き抜けた。

空と違ってなぜ風はあくまでも爽やかなのだろうか。―「それは、"風"に"爽やかな"って修飾語をつけちゃってるからでしょ!」と自分で自分をツッコんでみた。

(長野県高等学校長会長 長野県上田高等学校長)



(1学年夏のフィールドワーク、佐久総合病院の上に広がる8月の青空)


仕事を終え、すっかり日が短くなった夕闇の中を長野市に向かいました。

ここ4日間は長野に縁があり、日曜日を除いて3回目です。

ある学校の開校の年、立ち上げに関わった‘同志’たちが、年に1回集まる会に参加するためです。

来年はその学校が創立10周年、来年の集まりは、周年行事に参加するために泊まりで、と約束しました。

本校の学校評議員をしてくれている、侍学園理事長の長岡さんがブログに、「出逢いという財産を手に出来るなら時間もお金も安いもんだな」と書いていましたが、還暦を目前にした今、長岡さんとまったく同じ心持ちがしていて、家族、友人、同僚、先輩、教え子…、ともに大切な時間を過ごした人たちは皆、宝だと思っています。





Posted by 上田高等学校長. at 2015年11月02日23:49