185 服装を考える



本校生徒会は、生徒からの意見や要望を大切にして、それに応える努力をしています。


その一環として、新しい執行部が発足してからも、校内に設置してある意見箱に入れられた意見に対して、こんな具合に、生徒昇降口にQ&Aが掲示され続けています。




その中の1つに、私が話したことに対するQとAが載っていました。




全校集会の講話の一部として、「少し細かいことだが、最近思っていることを話したい」と前置きして、生徒手帳にある「生徒心得」の「服装等について」の「本校には生徒諸君の良識を信じて制服等の定めはないが、高校生らしい正しい判断にもとづく服装は、その人の人格をあらわし、身の安全と保障にもつながることに留意したい。1.質素・清潔を旨とし、華美や粗野にわたらないこと。学校全体の調和を考え、みだりに流行を追い、知性と教養がうたがわれるようなものはさける。…」という箇所を読み上げ、「例えば、私はジャージは運動着だと思うし、なんちゃって制服には私は主体性を感じない」と話し、制服の自由化に至る歴史や私の意見も含めた様々な意見をよくよく咀嚼した上で、最終的には自分の頭で考え判断してほしい、と伝えました。

このことについて生徒から意見が出され、担当の生徒会役員が校長室にやって来て、私から聞き取りをして行ったのです。

時間の関係もあったし、すべて口頭ということもあり、十分に意を伝えられたか心配もあったので、質問が出てちょうどいい機会だと思いました。

Opinion:校長先生は、なんちゃって制服は主体性がないとおっしゃっていましたが、校長先生も一度着用されればよさがわかると思います。

Answer:校長先生にお聞きしました。機会があれば挑戦する気があるそうです。それは置いておいて、生徒手帳にあるように、制服の定めをなくした理由は「生徒の良識を信じて」「高校生らしい正しい判断」をしてほしいというところにあり、皆さんの前で「ジャージは運動着」「なんちゃって制服に私は主体性を感じない」と言った理由は、いったん立ち止まって、自分が毎日着て登校する服装についてしっかり考えてほしいと思ったからだそうです。「自由」なんだから最終的には生徒一人ひとりが判断することだと思っているそうです。


いいですね。

こういうやり取りができることを私はとても嬉しく思います。


『校史』によると、昭和40年代前半には、県内各地で制服の見直しを生徒が求めるようになり、本校でも、昭和39年の第1回の「先生と生徒の語る会」で話題として取り上げられたものの、その時は「着用は話し合う問題以前の常識」というのが学校側の説明で、そこがスタートラインだったようです。

生徒会による全校生徒アンケートの実施や集計、クラス討議、生徒総会での可決などを経て、生徒会として正式に学校に要望を出し、それに応えて教員も真摯に検討を重ね、昭和42年に着帽の自由化、昭和45年に制服の自由化がなされたという歴史を、今の生徒はどう考えるのかということを問いたかったのです。

自由とか平和とか、そういうものは、自然とそこにあるものではなくて、守っていかないと失われてしまうものだと思っています。

ただ面倒臭いとか、特に何も考えなしに、毎日着る物を決めているとしたら、それはちょっと違うんじゃないの?、きちんと考えよう、その都度考えて出した結論は尊重するよ、と言いたかったのです。


上のなんちゃって制服も、主体性に関しては少なくとも私はあるとは思っていないが、きちんとした服装であると思うので、よくよく考えた上で、今日のTPOに相応しいと、その人が判断したのならそれでいいのです。


直近の職員会議でも、ジャージに関して概略次のような共通認識が図られました。

服装は自由であるという校則を尊重し、生徒に何らかの考えを強制することはしない。しかし、同時に、教員から、生徒や保護者に出来るだけ多くの機会を通じて投げ掛けを行い、考える契機を作る。生徒がジャージを着ない理由として挙げている、着替え時間や更衣室の確保など、障害になっていることには教員が配慮する。


生徒には、先人の到達点についてきちんと理解した上で、自分の頭で考え、自分で判断し、それをもとに自信を持って自分の意思で行動できる人になってほしいと願っています。





Posted by 上田高等学校長. at 2015年12月21日23:59