今日は卒業式。
正式には、写真の看板にあるように、卒業証書授与式と言っています。

(卒業生へ卒業証書授与の場面)
寒い朝になりましたが、天気は快晴、まさに「晴れの卒業式」です。
昨日も今朝も、生徒も教職員も、いろいろな人が、卒業生に対してお礼やお祝いの意味を込めて、準備を進めていました。
昨日のうちに生徒会の役員が卒業生の全クラスの黒板にメッセージを書いていました。
そのうちの幾つかを紹介します。



昨日のうちに準備した保護者受付の飾り付けです。

今朝の受付担当の生徒たちです。

この花は学校としてではなく、想いのある先生が個人で用意したものです。

掲示されたたくさんの祝電の一部です。

来賓も13人の方がお見えになりました。
式は厳粛な中にもあたたかい雰囲気を持って、予定より若干早目で進みました。
ギャラリーで、入退場と校歌・蛍の光の演奏をしてくれた吹奏楽班です。

卒業生退場の場面です。

退場後、卒業クラスは記念撮影。

その後、教室に入り、保護者とともに最後のホームルームを終え、ロータリーに出てきた卒業生を待ち受けていた在校生が、記念撮影をしたり、花束を渡したり、胴上げをしたり、応援歌を歌ったり、卒業生同士で写真を撮ったり、しばらくは大混雑をしていました。
式の壇上にあった花を玄関に移動しましたが、こうしてみると、その大きさがわかります。
かなり遠くからもいい匂いがしています。

来賓を迎えた花をそのまま校長室に置きました。

そして、これは、卒業生の保護者から事務室に届けられた花です。

「3年間大変お世話になり、ありがとうございました」とあります。
10数年学校にいる人が、こんなことは初めてではないかと言っていました。
今日は、職員朝会で、全・定の卒業学年の担任が一人ずつコメントをしましたが、中には、朝3時まで今日の準備をしていたという担任、逆に2時に目が覚めてしまったという担任もいました。
それ以外にも、朝出会った全日制の卒業学年の担任が「校長先生、3年間、楽しかったです。特に今年1年はあっという間でした」と言っていましたし(土日を含め朝早くから夜遅くまでほぼ毎日学校で仕事をしていたにもかかわらずです)、昼間行われた保護者主催の学年の祝賀会から学校に戻ったベテランの担任は「やっぱり担任は最高ですね」と言って、その後の教科の祝賀会に出掛けて行きましたが、謝恩会の後、生徒と合流して卒業を祝ったクラスもあったようです。
夕方から職員で祝賀会を行った定時制の担任も「色々あったけど、やっぱり卒業式はいいですね」と言っていました。
教員になって以来、ずっと思っていることは、学校で行った教育は、卒業してからも、生徒の成長や活躍を見たり聞いたりする度にとても嬉しく何かご褒美をもらえた気分になるものですが、学校という範囲で考えると、すべてはこの日のためにあると言っても過言ではないということです。
生徒も教職員も、そして保護者・来賓の皆さんも、今日は本当にいい表情をしていました。
365(今年は366)分の1日ではありますが、やはり今日は特別な日です。
定時の卒業生はあらかた進路先が決まっていますが、全日の卒業生は現時点ではほとんど進路先が決まっておらず、まだ進路実現の渦中にあります。
それでも、国公立大学前期個別試験と合格発表の間の週ということがあるにせよ、ほぼ全員がこうして卒業式に出席して一日を学校で過ごすところに上田高校のよさがあると思っています。
最後に、学校のホームページ上にも掲載しましたが、今日の卒業証書授与式の式辞を掲載します。
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平成27年度 長野県上田高等学校 卒業証書授与式 式辞
冬の間、近隣の山々や里に厚く積もっていた雪が溶け、地表から春を告げる福寿草の花が顔を出し、県内からも桜の便りが届く、穏やかな季節を迎えました。
本日、日頃から本校の教育振興に格段のご高配を頂いておりますご来賓の皆様のご臨席を賜り、平成二十七年度長野県上田高等学校卒業証書授与式をかくも盛大に挙行できますこと、大変有難く、心より御礼を申し上げます。
卒業生の皆さん、晴れのご卒業おめでとうございます。
こうしていつも以上に凛々しい皆さんの姿を見てとても嬉しく思います。皆さんは、歴史と伝統に輝く長野県上田高等学校の第百十四期卒業生として、ここにその名を刻むことになりました。本日皆さんに贈る「卒業おめでとう」の言葉は、高校生活における皆さんの精進、努力に対する賞賛の言葉であるとともに、明日を担う皆さんへの大いなる期待と激励、はなむけの詞でもあります。
保護者の皆様方、お子様のご卒業、まことにおめでとうございます。
お子様は今日ここに力強く新しいステージへ踏み出す時を迎えました。これまでのご労苦とご訓育が実り、この日を迎えられましたことに、心からお祝いを申し上げます。
さて、卒業生の皆さん、皆さんは本校での三年間、あるいは四年間、幾多の悩みや葛藤、挫折や困難を乗り越え、授業、班活動、生徒会活動を始め、様々な活動に前向きに取り組み、大きく成長し、多大な成果をあげてきました。皆さんが中心となって創り上げた今年度の松尾祭のテーマは「Seize the days」でした。「Seize the day」とは、日本語では、「その日をつかめ」あるいは「今日の花を摘め」、すなわち「今を生きろ」という意味に解釈されています。
今月十一日には、東日本大震災から丸五年を迎えますが、その復興は未だ途上にあり、被災された方々や大切な人を失った方々の、例えば故郷に帰りたいなどの願いは必ずしも十分に叶えられないまま時が過ぎています。この大震災が私たちに教えてくれたこと、それは、いつ何時何が起こるかわからないこの世界で、今自分たちが生きているという奇跡を全身で感じ、それに感謝し、今を精一杯生きることが大切だということ、そしてそれが希望ある未来を創ることに繋がるということ、ではないかと考えています。
ここ長野県でもこれまでにいくつもの大きな地震が起きました。中でも上田藩主だった真田信之が封じられたことで本校とも縁のある松代で、昭和四十年から、五年半の長きにわたって続いた、いわゆる「松代群発地震」がよく知られています。この五年半の間に、体に感じた「有感地震」だけでも、震度五や震度四の大きなものを含めて六万回を超え、いつ止むか見当もつかない地震に対する住民の不安や恐怖は筆舌に尽くしがたいものがありました。その最盛期の昭和四十二年、当時の松代町長であった故中村兼治郎氏は、現地を訪れた国会議員の調査団に「何か必要なものはないか」と問われ、「学問が欲しい」という有名な言葉を発しました。結果的には、地震予知などの科学と住民との連携により、幸いにも地震による直接の死者も火災もなかったと言われていますが、群発の最盛期に町長が一番欲しかったのは、お金でも物資でもなく、住民の命を救い、不安や恐怖を取り除いてくれる学問であったのです。
福沢諭吉はその著書『学問のすすめ』の中で、学ぶこと、知ることの大切さを説いていますが、基礎的学問を含め、真の学問とは、自らを幸福にし、人生を豊かにするとともに、ほかの人の役に立つものを指すのだと考えます。
本校生もスタディツアーでフィリピンを訪れますが、そのレイテ島という所にあるフィリピン大学医学部レイテ分校と交流を続けている佐久総合病院の職員の皆さんによると、レイテ分校の学生たちは、目の輝きと必死さが圧倒的に違うと言います。学生の多くは貧しい地方の出身であり、医療が未成熟で、十分な手当てを受けられずに亡くなっていく人々を日々目の当たりにする中で医学を志した彼らは、自分が身に付ける一つ一つの知識、一つ一つの技術が人一人の命を救うことに繋がるという自覚を強く持っているのだそうです。
私は、一年間、本校で学ぶ生徒諸君の姿や本校が指定を受けているSGHの取組を見て、「強い学び」「深い学び」ということと、「本物の学力とは一体何なのだろうか」ということを考えるようになりました。本校で学んできた皆さんは、「学び」とは、机の上で完結するものではなく、人の命を救うもの、世界の平和を維持するためのもの、社会や世界をよりよくするためのもの、としてとらえることができているはずです。
皆さんの卒業後の進路は様々ですが、それぞれの道で、今後も、生涯にわたって、本当の意味での学びを続けてほしいと思います。そして、校歌にあるように、上田高校卒業生として「至高の望み」と「至剛の誇り」、さらには真田から伝わる「気概」を持ち、「いざ百難に試みむ」という心意気でこれから出会うであろう幾多の困難を乗り越えて行ってほしいと願っています。
卒業する皆さんは、今日、楽しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、苦しかったこと、様々な思い出が詰まった学び舎を後にし、毎日くぐって登校して来た「古城の門」から新しい世界へと巣立って行きますが、古城の門は、これからも母校を訪れる皆さんをいつでもあたたかく迎えてくれます。上田高校はいつまでも皆さんとともにあります。
今日は少し寒い日になりましたが、明日からは暖かくなるそうです。卒業する皆さんの将来が光り輝くものであること、皆さんの人生が幸福と充実感に満ちたものであることを心から願って式辞といたします。
平成二十八年三月二日
長野県上田高等学校長 内堀 繁利