089 校長会でICTについて学ぶ



この夏。

急き立てられるような気持ちが消えない、落ち着かない夏です。


一つは、戦後70年という区切りの年の国の動き。

国際情勢が変化する中で安保法案が国会で審議され、関連して国会の外でも、国を二分する大きな動きが起きています。

18歳以上に選挙権を与える法案が成立し、高校で何をどう教えるのか、文科省や県教委で検討が始まっています。

次の学習指導要領で「歴史総合」や「地理総合」、あるいは「公共」といった新科目が検討されているということも公表されました。

これからこの国はどういう方向に進むのか、明らかにこれまでとは違ったステージに入っていると感じています。


もう一つが、高校における学習の中身・学び方、それを反映させる大学入試等が大きく変わると言われていることです。

上田高校は、SGHの指定を受け、学びの方向性を内外に明示していますし、その方向で意欲的に取り組むことによって、これらの動きにも対応できるという確信を持っていますが、その詳細、具体的な国の制度設計がどうなるのか、まだまだ先が見えにくい状況があります。


そのような中、今日は午後から、校長会普通部会の総会・研究協議会が長野市で行われました。


講演会には、元神奈川県立城山高校の校長、関明先生が、『協働した学びを充実させるためのICT利活用教育』と題して、自らの実践に基づく話をしてくれました。




「知識注入型」から「知識活用型」への教育の転換、ということが言われています。

教育の定義付けは様々に行われていますが、学校のホームページにも書いたように、私としては、個としての幸福の実現、社会の構成員としてのよりよい社会の構築のために、必要な知識を獲得し続け、社会や周囲の動きに流されることなく、自分の頭で考え、決断し、自らの意思で行動できる人を育てることだと考えています。

だとすれば、上述のような時代にあっても、実は、目指すところはこれまでと何ら変わりはなく、むしろ、国や世間のお墨付きを得て、これまで以上に、迷うことなく前に進めばいいのだとも考えています。


丁度そのような話を会の冒頭でしたのですが、その一つの具体的な答えが今日の講演の中にあったように思います。


William Arthur Wardという人の、有名な次の言葉を引用し、

The mediocre teacher tells.
The good teacher explains.
The superior teacher demonstrates.
The great teacher inspires.

凡庸な教師はただしゃべる
よい教師は説明する
すぐれた教師は自らやってみせる
そして,偉大な教師は心に火をつける


ICT教育の導入によって、ザックリと言えば、教師が一方的に話し続ける授業から、生徒が主体的に学ぶ授業へと変わり、模試の成績も向上したと言います。

タブレット端末は1人1台必ずしも要らない、ネットに繋がらなくていい、単純なものほど面白い、ICTを中心にしない、などなど、校長たちにも十分役に立つ講演でしたが、先生たちが直接話を聞いたらもっといいのではと思えるような講演でした。




先週末に秋が立ち、相変わらず暑い中にも、心なしか秋の気配が感じられます。

これも総会の挨拶の中で言ったことですが、この夏、計画していたことの1つが校史を読むことで、その計画は進んでいないので、夏後半に頑張らないといけません。


来し方を知らずして行く末は語れません。

社会生活でも、学校運営でも、歴史を学ぶことはとても重要だと思います。


  

Posted by 上田高等学校長. at 2015年08月10日22:43