098 エンジュの木を語る



今日は、学校にあるエンジュの木の話をします。


昨日、上田市の小林教育長さんが学校に見えた時、上田高校を囲う塀の北東の角にある、エンジュの木のことが話題になりました。

お濠の外、校地の東北の位置から写したのが下の写真です。




そこにその木があることは知っていても、普段あまり通らない場所にあるため、その謂れを知らないと、たくさんある大木の1つくらいに捉え、特段の注意を払って眺めることもない木です。


小林教育長さんは元上田高校の校長で、枯れ始めていたこのエンジュの木を将来にわたって残そうと尽力された方です。

折に触れ、このブログにも書いているように、大切なこと(もの)を先人から受け継ぎ、後世に引き継ぐということです。


小林先生は、校長時代、この木について、いろいろなところで話したり、書いたりしていたようで、その頃お会いした時に「知っていると思うけど…」と、私にもちょっとだけ話をされたことがありますが、『関西同窓会報』の平成24年1月発行の号に、上の写真と同じ位置から撮影した写真を載せ、次のように書いています。


《…上田市にほど近い東御市の島河原の黒エンジュと呼ばれる天然記念物のエンジュがあります。樹高30m、幹周5m、樹齢800歳という巨木ですが、上田高校にあるエンジュも、樹高23m、幹周4.5mとやや小ぶりですが、体格はそれほど見劣りしません。
この写真のエンジュ、上田高校の東北の隅に植えられていて、鬼門である丑寅(うしとら)の方向(東北)を塞いでいるということです。
エンジュは槐(木に鬼)と書き、鬼が出入りするという鬼門に縁があること、木の姿も灰黒色の彫りの深い樹皮に囲まれ、男性的な力強い樹木であることなどを考え合わせると、おそらく正しい伝承と思われます。…
樹齢、不明です。明治21年の写真にも東北の隅にエンジュの姿を明瞭に見出すことができ、樹高は既に17mあります。
江戸時代に古城の門を焼いた寛政の火災がありますので、その後と考えても約230歳となります…
利口な樹で、本体の南方向と西方向に、本体を頂点として直角に根を伸ばして、少し離れたところから、子どもの幹を伸ばしています。
子どもも大きくなっているので、傍から見ると3本のエンジュの大樹があるように見えます。
最近、本体の衰えを感じたのか、自分のすぐそばに1〜2mほど濠の方向に横に根を伸ばして、孫ともいうべき幹を立てています。
写真では、太い幹のすぐ右側にやや傾いて1本立っているのがそれで、その右側に幹が3本に分かれているのが西側の子どもです。
樹勢はかなり衰えていまして、本体の4分の3ほどに枯れが入ってきてしまいました。
…なんとかしなければと樹木医の先生お二人に見ていただきました。
エンジュは学問に縁の深い樹木ともお聞きしています。
創立以来、その晩年の中で、本校の教育を見守り続けてくれた樹木ですので、大切にその姿を留めていきたいと思います。》


小林教育長さんのエンジュの木に対する想いが伝わって来ますし、この想いをしっかりと受け継ぎたいと思います。


文の中で語られている木の様子は、上の写真の反対側、北通用門から見た方がわかりやすいかしれません。



右手前と右の建物の向こうにあるのが「子ども」、中央が「本体」、左が「孫」です。

これらの木は、すべて根で繋がっていて、文の中にあったように、本校創立以来ずっと本校と同窓生を見守ってくれているのです。


  

Posted by 上田高等学校長. at 2015年08月28日23:06